岩国行波の神舞 山口県岩国市行波 (2013.4.6~7)

平成22年より中国地方の祭りを本格的に撮り始めた私は、「岩国行波の神舞」の今日の日を心待ちにしていた。神舞は、江戸時代の前半には神楽を舞っていた記録があり、6年に一度の式年奉納になったのは寛政3年(1791)とされる。昔ながらの舞を脈々と伝え、規模や舞を変えずに伝承されており国の重要無形民俗文化財に指定されている。

前夜祭当日の早朝に現地入りした。天気予報は、前夜祭と本祭の両日共風雨強く荒れ模様とのこと。予報通り祭り会場は強い雨が降っていた。会場は、既に祭りを迎える諸準備が整い、低い雲が錦川の山あいを流れ惜春の桜花が祭りに花を添えていた。午後5時過ぎに舞殿を清め祓う湯立神事が始まった。三作神楽・比婆荒神神楽・豊前岩戸神楽で観てきた所作を思い出した。続いて、六識幸文祭・諸神勧請・注連灑水の舞が披露され、午後10時過ぎに前夜祭が終了した。子供達の六識幸文祭は、完成度が高く目を見張るものがあった。そこには、神楽に取り組む地域の人々の熱心な姿が投影されていた。翌朝の本祭は、時折雨を伴い風が強く吹いていた。午前6時過ぎより、舞手のみなさんによる水垢離が始まった。錦川で身を清める儀式が終わると、舞殿の本格的な飾り付が全員で手際よく行われ、いよいよ本祭の時間を迎えた。神事が終わり昨夜の三つの舞が披露された。日本紀・真榊対応内外を観て、荒霊武鎮の途中で次の八関撮影の場所に移動した。午後3時30分頃より子供たちによる松神楽が舞われ、八奉吏と八鬼神の舞の後いよいよ松登りを迎えた。時間は午後530分。風雨は既に治まり、時折青空を覗かせていた。ひと安心である。松本神楽団会長が塩で参道を清め、そのあとを白装束の荒神が両手を広げて25mもある柱松まで来ると緊張感で会場は静まりかえった。松に巻かれた縄を足場にして、荒神は一歩一歩木の上を目指して登り始めた。松の最上段に祀った三光(日・月・星を意味する円形の飾り物)に火を放ち(破り)松の小枝を投げたあと、宙ずりになって縄を伝わり降りてきた。時間は午後6時。舞台は舞殿に戻り、愛宕八幡・弓箭将軍・三宝鬼神・五龍地鎮・天津岩座が格調高く舞われ全12演目が奉納された。最後は、昇神の儀が執り行われ、全てが終了したのは午後1130分を過ぎていた。ある人が行波の神舞はミュージカルのようだと言っていた。確かに、舞殿での神楽、長い参道から柱松・松登りまでの八関の舞と演技そして舞殿に戻っての神楽舞は、中世から行われてきたエンターテイメントそのものである。行波地区は約120人が住んでおり、男性は高齢者を含めて約70人、神楽は36人必要という。大掛りな会場設営は、飾りに至るまで全てが一からの手作りである。行波の神舞に携わる地域の人々の強靭な集結と結束力は、先祖から引き継がれてきたものであり、行波地区全体が国の重要民俗文化財産と言っても過言ではない。

荒玉社秋季例祭と稲刈り 平成30年10月13日(土)~14日(日)

1.神舞準備~第1日目(前夜祭4月6日)神事~第2日目(本祭7日)注連灑水

2.第2日目(本祭7日)日本紀~八関

3.第2日目(本祭7日)愛宕八幡~天津岩座~昇神の儀

泥落とし行事 「岩国行波の獅子舞」 (2013.6.23)

山口県では、田植え後の祝いごとを泥落としと言います。しかし、行事は殆ど廃れていまいました。岩国行波地区では、貴重な泥落とし行事「獅子舞」が伝統芸能として大切に継承されています。行波の獅子舞は、江戸時代に始まったと言われ、五穀豊穣などの願いが込められています。6月23日当日は、午前8時の神事から始まりました。今年は、神舞が雨で獅子舞は天候に恵まれ、従来とは逆現象とのことでした。獅子舞は、動きが激しく、大変きつい姿勢を伴うので交代で舞います。また、今年から、神舞の六識幸文祭に出演したちびっこが、獅子舞の後役でデビューしました。これが、子供でしかも新人とは思えないくらい達者な舞を見せてくれたのです。天晴れ!!

各家では、部屋をきれいに掃除して、仏壇にあかりを灯して獅子舞を迎える準備がされていました。獅子舞は、仏壇に向かって力いっぱい華麗に舞った後、家の人の頭を軽く噛んで帰ります。50軒近い家を回り、伝承館で舞納めが終了したのは午後5時頃でした。

神舞の若手スター達が、1軒1軒家を訪ね全力で舞う獅子の姿は、神舞の再現を思わせる素晴らしい行事で必見です。