豊前地方の柱松

 旧豊前地方は、古き昔から神仏習合文化が栄えた。古代の宇佐は、九州全域の中でも政治・経済・技術などの面で先進文化が進み、仏教や道教も定着していた。 宇佐神宮には、東大寺式の伽藍を誇る

大 寺院が建てられ、神仏習合の先がけとなった。明治元年に神仏分離令が施工された。全国的な神仏希釈思想により神社にあった寺院が廃止され、修験道文化も衰退して英彦山の修験道行事も姿を消して行った。現在では、「求菩提山の御田植祭」や「等覚寺の松会」などが豊前地方の松会行事として   

受け継がれている。「等覚寺の松会」は、毎年4月第3日曜日に白山多賀神社で行われている。

松会は、954年に求菩提山の谷之坊が伝えた。今でも、陽神を表徴した松柱や幣切り行事など修験道の古い形態を残す唯一の存在となっている。

国東の修正鬼会

 寺院の正月行事「修正会」は、もともと春を迎える民俗行事「オコナイ」(収穫祝の共同祈願祭)が仏教化して寺院行事になったものである。国東の修正鬼会は、幸福をもたらす鬼が登場する。西満山(高田市)は天念寺、東満山(国東市)は、岩戸寺と成仏寺が交代で毎年開催される。三年連続、都合4回撮影した。内容は、おおむね似ている。午後三時頃、住職が一堂寺院に会して長時間お経をあげる。この世の、全ての神様を迎える儀式が延々と続く。天念寺は、「オハヤシカタ」が伴奏に付く。仏教行事では、全国的に見て珍しいとのこと。お経の後、住職直々香水棒を持ち、鈴鬼面を付けて踊る。鬼が登場するまでは、和やかな雰囲気である。夜も九時を過ぎ、鬼が出て来ると場景は一変する。天念寺は、狭いお堂の中で松明が激しく走り回る。素行の悪い見物者は、タイレシ(若衆)が松明で容赦なく頭をたたく。鬼に代ってお仕置きされるのであるから文句は言えない。衣類が焦げ、多少の火傷は我慢。火傷も御利益の一つである。東満山の方は、鬼が分かれて「鬼はよー、来所はよー」と掛け声をかけて集落を回る。岩戸寺の鬼は、遠い昔結界を超えたらしく一匹少ない。各家では、家族や親戚が集まり鬼たちを歓待し、酒を飲み交わす。そして、鬼は皆に福を届ける。集落を回り終えた鬼たちは、再びお寺に帰る。鬼は、お堂の中を激しく回り、タイレシに餅をくわえさせられておとなしくなる。時間は午前三時である。修正鬼会が終わり、国東では田仕事が始まる。