放生会は、筥崎宮の放生会が有名で博多ちゃんぽんと一緒に紹介される。

博多ちゃんぽんは、福岡県のガラス職人が当時長崎から来た中国製のガラス玩具を模造して、筥崎宮の放生会で売り出したのが始まりである。食べるちゃんぽんは長崎が有名で、博多ちゃんぽんはビードロのことで、ビードロは、長崎にオランダから伝来してきた話。頭の中がちゃんぽん状態になる。放生会は、仏教の戒律である「殺生戒」を基として、日本では神仏習合により神道にも取り入れられた。宇佐八幡は、奈良政府と共に反乱を起こした隼人を攻撃し、多くの人々を殺傷した。その罪を恐れ、仏教に助けを求める託宣を出した。そして、隼人の霊を慰めるため、744年に蜷や貝を海に放つ祭典がとり行われた。放生会の始まりである。  

八女福島の燈籠人形は、福島八幡宮の放生会奉納行事として始まった。当初、燈籠と人形を奉納していたが、大庄屋の松延甚左衛門が大阪よりからくり技術を伝えて、人形に動く仕掛けが施された。その後、甚左衛門によって当番町による上演様式が確立し、からくり技巧も磨かれて天保初期に全盛を迎えた。その技術は、福島の提灯や仏壇の基礎になったといわれる。舞台となる屋台は、三階建。釘を一本も使用しない組み立て方式で、総漆塗りである。三日日の最終舞台は、全ての戸が開放される。人形と人形遣いと囃子方全員が姿を披露し、最大の見せ場となる。ちなみに地元では、この祭りを「ちゃっぽんぽん」と呼ぶ。話は元に戻ってややこしい。

八幡古表神社 細男舞・神相撲(福岡県築上郡吉富町)

放生会と八女福島の燈籠人形