山口県の楽踊り


 風流踊として、「楽踊り」は昔から防長各地に伝承されている。特に長門地方に多く見られ、踊る場所によって、腰輪踊り・闘鶏踊り・諫鼓踊り・念仏踊り・花踊りなど異なる名称で呼ばれている。「楽踊り」は、田植神事の「田楽踊り」に派生し、変型発達したものだけに、雨乞・風鎮・牛馬の安全・五穀豊穣などを祈念して踊り始めたものが多い。美しい花笠・腰輪・団扇使いが特徴である。「玉川地区闘鶏踊り」は、毎年4月29日に開催される。江戸時代から、地元厳島神社に腰輪踊りが奉納されていた。踊りの名称は、大正15年に昭和天皇が皇太子の時、この踊りをご覧になり、闘鶏のようだと言われたのが現在の名称になったという。「赤崎祭り」は、毎年910日に赤崎神社楽桟敷(国指定重要有形民俗文化財)で開催され、楽踊りや湯本南条踊りが奉納される。楽踊りは、「虎の子渡し」と「月の前の伶楽」の二種類があり、田楽踊りから発展して念仏踊りの要素も入り今日に至っている。「勝間の諫鼓踊り」は、熊毛神社の例祭(1011日)で7年に1回奉納される。昨年は、その式年祭が古式豊かに奉納された。熊毛神社は、738年の「周防国正税帳」に記録が見られる古社である。豊臣秀吉が朝鮮出兵の途中、勝間と言う地名は吉瑞だとして、熊毛神社に戦勝を祈念した。その後、凱旋の帰途再び訪れて戦勝の御礼に参拝し、太刀・神馬等とともに「諫鼓踊り」を奉納した。以来、その踊りを神社の例祭で奉納するようになったと言われている。